大阪カジノが受け継ぐラスベガスIRの歴史
目次
1. ゴールドラッシュが巻き起こる
2. リゾート型カジノの誕生
3. カジノリゾートの創設期
4. テーマ型メガリゾートの創設期
5. ギャンブラーからファミリーへの客層転換
1. ゴールドラッシュが巻き起こる
カジノの歴史は、1829年スペインの探検家であるアントニオ・アルミホ氏が現在のアメリカ合衆国ネバダ州の砂漠地帯でオアシスを発見し、スペイン語で「草原」を意味する「ラス・ベガス」という名前を付けたことが始まりと言われています。当時のラスベガスはメキシコの領土の一部に属していましたが、1848年にアメリカ西海岸で巻き起こった「ゴールドラッシュ」の後にアメリカ合衆国になったそうです。
ゴールドラッシュの時期は、一攫千金を求めて世界中から多くの人たちが現在のカリフォルニアに当たる地域に訪れ、その際にカリフォルニアに最も近い休憩地点として利用されていたのがラスベガスでした。しかしラスベガスには、人々が余暇を楽しむためのエンターテインメントがまるで存在しなかったため、日々お酒を飲みながらお金を賭けて遊ぶトランプカードゲームが繰り広げられていたと伝えられており、これが後にギャンブルの聖地・ラスベガスとしてのスタートになったようです。
しかし、1911年にネバダ州の法律でギャンブルが禁止となり、その後は闇カジノでの賭博が流行し、ラスベガスはマフィアたちが莫大な資金を生む源泉地域となっていきます。
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2. リゾート型カジノの誕生
第一次世界大戦による経済恐慌と、1929年に起きた株価大暴落による世界恐慌により大不況が訪れ、これを克服しようと1931年にネバダ州でカジノが再び合法化されます。そして、1940年代にはリゾート型カジノの礎が築かれることになるのです。
その後、1941年にラスベガスのストリップ通り沿いに「エル・ランチョ」カジノがオープンし、続いて1946年には「ハリウッドの社交界をラスベガスに誘致する」ことをコンセプトに、カジノやホテル、プール、ショッピング施設、ショーステージ、テニスコート、ゴルフ場などを併設した世界初のIR施設(カジノを含む統合型リゾート)「フラミンゴ・ホテル」が誕生しました。その後も、リビエラ、トロピカーナ、サンズなど多くのカジノホテルがストリップ通り沿いに建設されていきます。
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3. カジノリゾートの創設期
1950年代、フランク・シナトラやエルビス・プレスリーなどエンターテイナーによるショービジネスが隆盛し、ラスベガスが最初の黄金期に突入します。この頃から、今ではカジノVIPルームを利用する際に一般的な「コンプシステム」が開発され、そのほか一獲千金を狙うギャンブラー向けのハイレートテーブルの導入や、ホテルの出入口をカジノの出入口に統一する顧客の囲い込み戦略、ビジネスコンベンションセンターの併設など、今や世界中のカジノリゾートが活用している多くのルールがこの時創設されていったようです。
また、1959年に「ネバダ・ゲーミング・コントロール法」が作成され、これまでマフィアが牛耳っていたカジノ業界からの一掃が本格化し、さらに1960年代後半には、航空会社TWAの創業者で大富豪のハワード・ヒューズが、会社の売却益などで準備した500億USDを超える資金で、ラスベガスのホテルを次々とマフィアや犯罪組織から買収することになりました。
これにより、カジノリゾートの経営は、マフィアの手から一般企業へ橋渡しされることになり、1969年にはカジノライセンス法の改正によって、大企業が参入する方向に切り替わっていったのです。
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4. テーマ型メガリゾートの創設期
1960年代は、現在のラスベガスカジノの原型が創られた期間で、ローマ時代をコンセプトとした「シーザーズ・パレス」や南国リゾートの活火山をテーマとした「ミラージュ」(1989年開業)のように、ある対象をコンセプトとして巨大カジノ付きリゾートを造り上げることが流行します。
また、1970~1990年代(とくに1990年代)には、エンターテインメントショーやアトラクションがカジノリゾートに導入されたり、「サーカス・サーカス」のように家族連れがターゲットとなるテーマ型リゾート、「シルクドソレイユ」を誘致して取り入れた「ウィン・ラスベガス」などが次々と誕生していきました。
MGMラスベガス、エクスカリバー、モンテカルロ、パリス、ベラッジオ、ハードロックなど、現在もおなじみの多くのカジノ&ホテルリゾートが、この時期に創設されたテーマ型メガリゾートに属します。
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5. ギャンブラーからファミリーへの客層転換
2000年代から現在まで、ラスベガスはカジノを中心とするリゾートシティから、家族連れが楽しめる複合型メガリゾートシティとして少しずつ方向転換を行っています。具体的には、カジノからの収益が中心だった事業モデルを、ホテルやショッピングモールなど他のIR関連施設での収益に切り替えていく方針が組まれており、実際に現在は各リゾート内施設から多くの収益が上がるなど、収益バランスが良くなってきているようです。
その反面、これまでカジノゲームをプレイするためラスベガスを訪れていたプレイヤーたちは、居住国に近い国のカジノシティ(たとえばマカオ)や、インターネットで遊べるオンラインカジノへ、プレイ場所を転換させている傾向にあると言われています。大阪カジノでは、これまでにないIRリゾートの真新しさを求めて、近隣諸国から多くの観光客やギャンブラーたちが訪れることを期待したいところです。
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